ふと風景が気になった時、こんな本はいかがだろうか。
野田正彰著「庭園に死す」は、人間の精神形成に於いて景観体験の重要さを挙げている。
「風景という刺激は精神の形成にとってそんなに大きな役割を占めていないのであろうか。眼を醒せば必ず飛び込んでくる風景が、家族との人間関係ほどにも私たちの精神に影響を持っていない、と考えてよいものだろうか。」
「風景はこれほどまでに人間の精神を形作っているのに、なぜ地理学的にしか分析されてこなかったのだろうか。」(野田正彰著「庭園に死す」序 庭園と精神との対話より)
野田はこの本で、庭園とは人間が採集狩猟生活を失ったのち、楽土(パラダイス)を求めて人工物を作ろうとする行為であると考え、訪れた庭園について語ってゆく。
良く知られた庭園から都市景観まで136箇所。いい本だ。
我々の生活は、採集狩猟生活>農耕社会>産業革命>情報社会と変化して来た。築いてきた文明社会に適合する為に、人間は多くのものを身に付けなくてはならない。それは当然かもしれないが、その負荷は少なくない。そんな事を考えた時思いだすのは「パパラギ」(エーリッヒ・ショイルマン著)。「パパラギ」の語り手、酋長ツイアビの文明批判はとくに厳しかった。
なぜ文明批判を持ち出したかと言えば、私には「庭園に死す」は、「文明社会やその社会に適合する為に人間が身につけたもの」が、楽土(パラダイス)に於いては役に立たない、と言っているように思えたからだ。
*「パパラギ」は、実話ではなくフィクションだったという事がわかり急に話題に上らなくなってしまった。「木を植えた男」にも「パパラギ」同様の問題があったが、フィクションとして評価されている。
岡崎 照男 訳 立風書房
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