B-STYLE

[身近なモノの取合せで暮らしを満喫する]  [時の経つのを楽しむ] [偶然を味方にする] それらをBスタイルと呼ぶことにしました。

2012/12/01

MONTESA インパラ2 その3(シンプルなデザインとは)

インパラ2のシンプルなデザイン:
バッテリーを積んでいないので当然キーはない。キックで点火、エンジンを止める時はキルスイッチを使用する。この車のウインカーは日本での後付なので、スペインでの発売当初はなかったと思える。付いているのはヘッドライトとテールライトのみ。つまり電気系統の故障はほとんど無いのだ。バイクのバッテリーは重く壊れやすい。

インパラ2の生まれた時代は、のどかな時代だった。曲がる時は手を挙げれば良い。バイクの台数も少なく、盗んでもすぐに見つかってしまったのだろう、盗難防止用には一本の金属パイプがあるだけだ。自転車同様、ホイールの隙間にこれを通してキーをかける(このためのキーはある)。時が経ち、現代の車はICキーを装備してセキュリティーを強化している。

豊かさへの欲望:
どんなモノでも性能上げると、モノ自体を強化する必要が生まれる。扱いやすさや安全性を負荷すれば、相応な装置がいる。便利を求めれば自動化が必要となるのだ。モノはこうして次第に複雑になってゆく。

もちろんこれはモノだけの問題ではなく、モノをとりまく環境や社会の影響も大きい。この半世紀、環境や社会制度は随分複雑になってしまった。複雑なモノは故障しやすく解体しにくい。

さて、なぜこのようなことが起きたのか。それは人間の豊かさへの欲望ではないだろうかと思う。豊かさへの欲望が悪いというわけではない。むしろ良いものだ。しかし人間はそれを科学や合理性に預けてしまったのではないだろうか。人間には精神や体の豊かさへの欲望があっていいはずだが・・。

19世紀末にあったアーツ・アンド・クラフツ運動、1960年代のヒッピー運動などにあった精神は、瞬く間に合理主義という文明に覆われてしまった。気がつくと人間は自分の手に負えないモノに囲まれて心は病んでいる。

時代は一元的に変化するとは思っていない。
人間は、もう一度、人間のスケールで扱えるシンプルなモノを身の回りに置き、それにふれあい、扱うことに喜びを感じることはできないものか(これも豊かさへの欲望)。


それはアナログにすればよいのか、アナログ的電子機器なのかという問題とも少し違う。部品が少なく、壊れるところが少ないインパラ2のシンプルさからは、そんなことを思い浮かべてしまう。


■バックアップ用HDを見てみたら、古いホームページの記事ができてきた。

現在所有しているバイクは、モンテッサのインパラ2。15年ぐらい前に新車で購入したが、このバイクがデザインされたのは、30年ぐらい前だ。 モトグッチの日本代理店、諸井敬商事の諸井さんが気に入って、スペインで生産をやめていたインパラ2を日本向けに約300台作らせたのである。

インパラ2は、シンプルなデザイン、珍しい、流行を気にしなくてすむ、新車である、外車としては安い、と私の望むすべての条件を満たしていた。

インパラ2に乗ってみると普通のバイクでは味わえないところが随分ある。
バッテリーを積んでいない。オイルは、ガソリンと混合。ブレーキとチェンジペダルが反対の位置にある等々。

またスタート・キーがない。だからいつでもエンジンがかかってしまう(とは言ってもコツがある)。私はインパラ2から貴重な押しがけのテクニックを学んだ(笑)。

このバイクは今でもスペインで走っているのか。私はガウディのサグラダ・ファミリアやプラド美術館のボッシュなどを見に行く機会に、スペインの町を回ってみた。インパラの仲間は確かに存在していた。しかし古く数も少なかった。見かけたバイクのほとんどは日本製だったのである。

わが家ではインパラ2は、ここ数年Macの新製品がでるたびに売りに出されそうになり、冷たいあしらいを受けてきた。しかしその都度、彼は「私は、PCのように陳腐化はしないよ。」と主張し続ける頑固者だった。彼は今、隣のおじいちゃんのガレージで冬を越している。(札幌市立高等専門学校学内ホームページ 1997)

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