B-STYLE

[身近なモノの取合せで暮らしを満喫する]  [時の経つのを楽しむ] [偶然を味方にする] それらをBスタイルと呼ぶことにしました。

2012/12/05

インド旅行

2012年は残り4週間。そういえば今年はインド旅行で始まったのだった。ケイタイが国際規格でなかったためiPoneに。iPoneは写真を撮り出すきっかけになった。

3月、道央道で千歳空港に。冬の北海道から初夏のインドへ。もちろん行ったことはない。


 インド、ニューデリーの宿泊地に到着したのは夜。まずはレストランでインド料理を。インディラ・ガンディー空港で出会った井上さんがケイタイで写真を撮り出したのでお付き合いで撮ってみる。撮り慣れていないのでひどい並べ方。

レストランの窓からガーデンパーティが見えた。軽い音楽が聞こえてくる。外国映画を見ているような気分に。iPoneは窓越しの写真がむずかしい。

宿泊は、インディア・インターナショナル・センターの別館。朝、建物を散策。奥にロビーがあった。50年くらい前の古いデザインがなんともいえない落ち着きをかもしだしている。札幌から来たのでハーフコート姿。

 表に出て朝の散歩に。写真では分からないが、日本とは木の種類が違うので新鮮。ここは日本でいうと麻布のような場所。一般の住宅や商店、ホテルなどはない。

屋上の手すりに大きな鳥が。孔雀だった。

 宿舎の裏にあるロディ・ガーデン。ここは気に入った。

 ロディ・ガーデンは、かつてこの地を支配していた豪族の遺跡。写真は墓。観光地ではないので市民の集う公園になっている。朝は散歩やヨガをする人が多い。

すごい数のインコとリス。餌を与えているのですぐ近くまでくる。

野良犬が多いのに驚く。ゆっくりと牛のように歩き、寄ってくる。犬嫌いの人は公園に行くのは無理。

オートリキシャーとサイクルリキシャー。安いタクシーといったところ。数は多い。観光客だけでなく市民も利用している。観光客にみられると、ぼろうとするが頑固にこちらの主張を続けると折れる可愛いところがある。
そういえばタクシーに乗っていて信号で止まると、かならず乞食の老婆が物乞いにやってくる。最初は可哀相と思ったが、あまり多いので次第に怪しく思えてくる。老婆が抱いている幼児は借り物ではないだろうか?と。その通りだった。

リキシャーのハンドルはオートバイと同じ。125ccというから驚く。日本の昔のオート三輪に似ている。
子供のころオート三輪に乗せてもらったことがある。オート三輪には運転手の膝の間にガソリンタンクがあり、折りたたみ式の助手席に座ると、床がなくて地面が見えていたので驚いた。リキシャーには床はあった。ドアはない。

驚いたのはバックミラーが車の中にあることだ。インドはすごい交通量で、常に渋滞。車線なんかあったものじゃない。フォーンを鳴らしながらスレスレに割り込んで進む。だからバックミラーは邪魔なのだ。行儀の良い日本人にはとても走れない街デリー。街は賑やか、というかうるさい。

オールドデリー。映画「ブレードランナー」のセットも、ここのグチャグチャさにはかなわない。日本なら戦後の闇市、黒澤明監督の映画「どですかでん」の世界というところか。街では女性を見かけない。

マーケットは、昔のアメ横みたいな雰囲気。ここには女性もいる。掘り出し物を見つけたかったが、新しい物ばかりで・・。

実はインドには映画祭で行った。会場になったインディア・インターナショナル・センターは、現在の天皇が皇太子時代に泊まったところ。

モデルになった建築は、日本の南麻布にある国際文化会館だというが、1950年代のモダンデザインがなんともいえない。会員以外は泊めてもらえないが最終日はここに泊まる。

庭側からのデザインもいい。正面がレストラン。

映画祭の打ち上げガーデンパーティ。挨拶も乾杯もなくいい感じ。(あったのかもしれないが日本のようにグラスを持ったまま乾杯を待ち続けるようなことはなかったと思う。)

アジアの女性監督たち。香港、インドネシア、アフガニスタン、学生監督もいる。日本からは井上都紀監督、横須賀令子監督。

レストランの料理。カレー、よく食べた。というかカレー味以外の料理はない。香辛料のせいか体調は良かった。そろそろ日本料理が恋しくなる。

インド最終日は、祭「ホーリー」。街中で色のついた粉をかけ合う。行きたかったが色の粉まみれで入出国手続きをするのは・・と思い、祭りの終わった昼に外に出る。

野良犬にも色の粉が。

空港に向かう途中でクトゥプミーナールの遺跡に寄る。観光地ってあまり・・。
奥にある塔と同じものが手前にもあったのだが、残っているのは土台だけ。

ちょっとゲームの中に入ったような気分が味わえる。たくさんのハトがいる。

まもなく空港。125ccのバイクに家族4人乗り。インドで一番感じたこと。それは人間の圧倒的なエネルギーだった。1960年代の日本のような。

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