B-STYLE

[身近なモノの取合せで暮らしを満喫する]  [時の経つのを楽しむ] [偶然を味方にする] それらをBスタイルと呼ぶことにしました。

2013/04/02

映画「ニーチェの馬」Turin Horse(A torinói ló)

凄い映像ではじまる。言葉にすると、”馬が荷車を引いている”となるだけだが、映像には言葉では説明できない表現があることを観客は知る。そしてどこまでも長いカットがつづく。

物語:
この世のどこともいえない荒涼とした地に、父と娘が暮らしている。家には仕事ための1頭の馬がいる。生活は貧しく単調である。ほとんど無言である。2人は時々窓の外をじっと眺める。この暮らしが延々と続く。やがて異変が起こる。井戸の水が枯れ、馬が食事をしなくなり、ランプに灯りがつかず、火種も消え、生のジャガイモを食べるしかなくなる。

監督と制作:
この映画は2011年、ハンガリーの監督タル・ベーラによるもの。原題は「The Turin Horse(A torinói ló)、”トリノの馬”」。冒頭でニーチェがトリノで見た馬の逸話が語られ、映画のもとになっていることがわかる。ニーチェは(神は死んだ。」で有名な哲学者である。

テーマ:
私は、テーマは無垢な人間の”終わり”だと思ったが、観客は様々な感じ方ができるだろう。セリフがほとんどなくヒューマニスティックな物語もないからだ。
なぜ人間が終わるのか? なぜ監督は終わらせたいのか? この”終わり”のとらえ方がこの映画の楽しみ方でもある。退屈な映画だといってしまえばそれまでだが・・。

映像:
映像はとにかく凄い。撮影現場を想像するとワクワクする。
家の外は常に強風、木の葉が舞っている。石を積み上げた粗末な家。ドアは家も納屋も頑固な木製。庭には掘った井戸。周りは何も無い草地である。これを重々しいモノクロ映像で仕上げている。

この映画は強風のシーンばかりだ。この強風をどうやって作り出したのか不思議だ。大型扇風機を使用していることはもちろんだが、かなり引いた距離からのシーンもある。窓から見える遠方の木もゆれている。しかし強風の日を選んで撮影をつづけることなど制作上不可能だ。
画面を飛び交う木の葉は人為的なものだ。映画は、あんなに大量の木の葉をつけた木がある設定にはなっていないが、こういうオーバーな表現は好きだ。

家は野外セットか、元々あった家を映画用に改築したかどちらか。井戸はあきらかに作り物。この映画にしては新しすぎる。ロケ地は牧場ではないかと思われる。

これらを背景にして素晴らしいキャストが自然な演技をみせる。この演技は物語中心の映画では絶対に見られない。もし我々の日常生活の中でこんなシーンを撮影しても誰も見ないだろう。それほど作り込まれている。
また時には(ほとんど)何分も続く1カット撮影。黒澤明と違い動くカメラが多用されている。相当なカメラ撮影技術がいる。この映像が観客を引っ張ってゆくのだ。

映画として:
この作品、映画祭での受賞歴もあり、一般的な映画とは違った重厚で異質な作品として高い評価がされている。しかし娯楽性は皆無だ。

映画を見る行為は、食事と同様である。食べたいものを食べたい時に食べる。だが「ニーチェの馬」は普通のテーブルに並ぶような料理ではない。しかし一度食べたら忘れられない料理であることは確かだ。



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