B-STYLE

[身近なモノの取合せで暮らしを満喫する]  [時の経つのを楽しむ] [偶然を味方にする] それらをBスタイルと呼ぶことにしました。

2014/06/26

戦争映画「フルメタル・ジャケット」と"亡国の徒”

ビデオで戦争映画を見る。「スターリングラード」、「フルメタル・ジャケット」。

「スターリングラード」は悲惨だが、エンタメ系ヒーロー物なので最後にはハッピーエンドが待っている。しかし「フルメタル・ジャケット」(スタンリー・キューブリック監督)にはラブストーリーもないし勝者もいない。
最後は、”ミッキーマウス・マーチ”による行軍だ。すごい。

この時代の巨匠たちは、カメラを振り回してストーリーを観客に押しつけるようなことはせず、カメラを素晴しいアングルに固定して目の前で起きている事実をひたすら記録する。そして撮影されたカットを巧妙につなげることで観客にストーリーが浮かぶような映像作りをしている。この手法によって究極のリアルさがうまれる。

DVDの特典には、「コッポラの「地獄の黙示録」のあとだったので、それ以上の作品にしたかった。」とある。
「地獄の黙示録」は、まさに戦争の狂気を描いているが「フルメタル・ジャケット」もそれに勝るとも劣らない作品に仕上がっている。

■前半
アメリカ海兵隊員は、戦地に向かう前に訓練によって人格を破壊され、ただ命令に従う屈強な肉体だけに生まれかわる。訓練が終盤に向かう過程で集団には落伍者を排斥する作用が生まれる。そして落伍者は異常者に。

■後半
ベトナムでの現実と悲惨な戦い。

前半の不快さ、後半の愚かさと虚しさ。
2度と見たくないようなこの映画の不気味さこそ、戦争そのものではないだろうか。

私の祖父は日露戦争で中国へ、父は太平洋戦争でラバウルに行った。
しかし戦争の話はしようとしなかった。
叔父は熱血硬派の方だが、戦争の話をしてくれたのは1度だけ。それは敗戦時の上官に対する失望感だった。

[戦時中、釣り人は"亡国の徒"と呼ばれたらしい]
30年前、バスフィッシングに夢中だった頃、琵琶湖にある「自衛隊前」という有名なポイントにボートで出かけたことがある。土手から水面までコンクリートのゆるいスロープになっていて、自衛隊の舟を出し入れする場所だった。

釣をするのはスロープが水没している先の杭群だったが、スロープの上の土手には小さな青年が1人座り込んでいた。その後ろには少し離れて女性が立っていた。たぶん新米の自衛隊員とその母親なんだろうと思った。
女性は青年に話しかけていたが、青年の方は黙ったまま遠くを眺めていた。2人は、こちらを気にする様子もなかった。私のボートがやって来るずっと前からそうしていたようにも思えた。

私はブラックバスに出会えそうな有名なポイントに着いて緊張していた。
杭の1本1本にむけてルアーを投げ込んでは巻き戻す動作を繰り返して杭に身をひそめた魚を誘っていった。丁寧に、そして慎重に。
しかしこの日はなんの反応もなく、すべての杭をチェックし終えたあとにはかるい虚脱感があった。

土手を見上げると、まだ2人はそこにいた。
あんな子供のようなひ弱な青年に国を守ることができるのだろうか? 国を守るということを自分から考えたことがないようにもみえた。
私は次のポイントに向かう為、沖に向かってボートの向きを変えた。

私は戦争体験はないが、自分の子どもたちに参戦させたいとは思わない。人間は神ではない。ある時は強くてもある時は弱いものだ。戦争の現場では狂気の世界に取り込まれる。戦争にどんな大義名分があろうと関係ない。


・戦争の狂気を描いた映画は多い。
アメリカ映画:「ディア・ハンター」、「プラトーン」、「地獄の黙示録」
ヨーロッパ映画:「ブリキの太鼓」、「地獄に堕ちた勇者ども」

・戦争について記述した重要な項目