■静岡の実家からタケノコが届いた。
毎年、母が札幌に送ってくれていたが、昨年亡くなってしまったので、「今年からタケノコはなしだね・・」と家内と話していたところだった。
送ってくれたのは弟、タケノコはこの季節しか味わえない風物なのだ。かつては母と子どもたちでワイワイとタケノコ掘りにいった。背負い篭いっぱい採って帰ると、八百屋に売ったり、庭に並べて近所の人に買ってもらったりしていた。
北海道の山菜採りとはちがって竹薮は先祖から伝わる私有地。当時わが家は兼業農家だった。
この竹薮がいつからあるのかは知らない。家康の時代からあったのかもしれないし、それ以前かもしれない。竹はもともと中国からの帰化植物なのだ。もっともそんなことを思うのはこの年になったからだ・・。
■実際のタケノコ掘りはけっこう大変だ。おぼえているのは竹薮に出かけた時のこと。
山のふもとに自転車を止める。そこからは刃の細いクワをもって50センチ幅ほどの山道を登ってゆく。
途中に精神病の療養所があり、なぜか豚を20頭ほど飼っていた。スゴい臭いだ。スゴい鳴き声だ。広い庭には放し飼いの犬が10頭ばかり走り回っている。時々こちらに向かって吠える。
15分ほどで竹薮に到着する。
40センチから70センチぐらいのタケノコが何本か見える。絵に描いたような立派なタケノコだ。しかしこれは食べられない。成長し過ぎである。
めざすは地面に積もった笹の葉の盛り上がったところ。葉をどけると、5〜10センチほどのタケノコの先が顔を出す。その周りの土を刃の細いクワを使って掘るのだ。
タケノコの周りには成長した親竹同士を結ぶ硬い根が張っている。しかもこの竹薮は40度くらいの急斜面にあたった。立っているだけでも容易じゃない。
見つけるカン、掘り起すテクニックの両方が必要だった。
■タケノコは、皮をむき米ぬかでゆでてアクを抜く。ゆでる時には独特の匂いがあって子どもには苦手だったが、楽しみは残った皮から作るおやつ。
まずはきれいな皮を1枚を選ぶ。皮の外側は短い毛で被われている。この毛をを包丁でこすって取り去ったあと、ツルッとした内側に梅干の果肉いれて包む。ペタッとしたチマキのような形になる。これで完成。
タケノコの皮を噛んでいるうちに皮を通して梅干の味がシミ出してくる。皮はそのうち赤く染まってくる。
とれたてのタケノコは特に匂いが強い。先端は柔らかいがコシがあり、根元は硬いのにサクッとした歯触りがある。この味わいがわかるのは大人になってからかもしれない。
いくら保存方法やデリバリーが進歩しても、とれたての味にはかなわない。病室で、しかも食事制限中だったので、タケノコは、ほんのわずかだけ刺身として口にした。
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