B-STYLE

[身近なモノの取合せで暮らしを満喫する]  [時の経つのを楽しむ] [偶然を味方にする] それらをBスタイルと呼ぶことにしました。

2014/10/27

作家の訃報に接することのさみしさ:赤瀬川原平さんの死去

赤瀬川原平さんが亡くなった。残念。
「超芸術トマソン」(非実用不動産)が好きだった。

若い頃は何でもなかったが、年をとると自分の好きだった作家の訃報に接するのは、よく知った道や建物がなくなるようにさみしいものだ。

赤瀬川さんが日本のアートシーンに登場したのは「模型千円札裁判」。私が表現に興味をもつちょっと前の時代のこと。その後、彼は状況劇場のポスターやガロに登場し急に身近に感じるようになった。
アートにこだわらずいろんな事をなさってきたが、私のお気に入りは「超芸術トマソン」。

「超芸術トマソン」とはなにか? かみくだいていえば、道を歩いていると見つかる役にたたない珍しいもの。何らかの理由で本来の役割を外れてしまった建造物に赤瀬川さんがつけた呼び名。TV番組「ナニコレ珍百景」の元祖だと思えばいい。
生真面目に受けとったらいいのか、笑ったらいいのか、ビミョウな感覚が湧き上がるところが快感。

実は赤瀬川さん、札幌高専時代に講演に来てもらったことがある。呼んだのは多分、上遠野敏先生。場所は札幌駅近くのホール。

その時のエピソードを1つ。
講演用スライドをセッティングしようとしたら、赤瀬川さんはセッティングは自分でやると言い出した。
よっぽど神経質な方なのかと思ったら、「トマソン」のスライドはマスターしかないという。 事故が起きたらこの世から無くなってしまうのだ。それでもコピーをたくさん作って要領よく、なんてしないところに彼の素朴さを感じた。そして楽屋で慎重にスライドをトレイにセットしている姿がうかんだ。

講演の後、寿司屋で飲み会。気さくな方だった。上遠野さんが「原平ちゃん、と呼びたい」というのがよくわかった。

東京でお会いしたことはなかったが、私も大駱駝艦のポスターを制作していたので、年ははなれていたがアングラ仲間の親近感を感じた。「ジャパン・アヴァンギャルド -アングラ演劇傑作ポスター100」(パルコ出版)に掲載。

文明社会のなかで、原始人のように暮らしてゆくことが私の理想だ。赤瀬川さんは私にとってそんな人間の1人に思えた。

彼にとって、役に立たない、珍しい「超芸術トマソン」とは、自身のことをさしていたのではないかと思う。
ご冥福をお祈りします。

学生時代のスクラップ:「模型千円札事件公判記録」(美術手帖より)。
起訴状、赤瀬川原平被告の意見陳述、瀧口修造特別弁護人の意見陳述がある。

「戦後文化の軌跡1945~1995」(展覧会図録より。)
個人的にはこちらの仕事の方が赤瀬川原平らしさを感じる。