B-STYLE

[身近なモノの取合せで暮らしを満喫する]  [時の経つのを楽しむ] [偶然を味方にする] それらをBスタイルと呼ぶことにしました。

2012/08/06

デザインと小説「マサカヤ亭奇譚」


20代の後半、私は幼児教育番組の仕事をしていたが、夜は近所のスナックで漫画雑誌を読むのが日課だった。学生の頃、将来は白い壁とコンクリートの床を持った小さな工房で人形やオブジェを制作しながら人生を送ることを夢みていた。しかし仕事に追われ、次第にそんなことが実現できるとは思えなくなっていた。

作りたい作品、やってみたい企画、世の中に存在したら面白いものなどをノートに書き溜めていたが、時間が実現の可能性を蝕んでいくように思えてきていた。誰にでもあることだが、私は自分の将来について悲観的になっていたのだ。小説を書きたいと思ったきっかけは、文章でなら考えてきたことを残せるのでは、と思ったからだ。30代半ばに出版した「マサカヤ亭奇譚」は、そんな風にして書き始めた。

最初に思いついたのは、ますむらひろしの漫画「アタゴールの森」のようなユートピア小説である。人々の集うレストランがある。このレストランの名物は、木や石から作られた料理とネコとサルの間に生まれた不思議な生物だった。レストランのモデルは、もちろん近所のスナック「リオ」。練馬区上井草の外れにある小さな店で、工員や出稼ぎ労働者、フリーターなどが主な客であり、愛想のない女主人が経営していたが、この店の活気のなさが気に入っていた。

木や石から料理を作るという発想は、「木はセルロースという繊維から出来ているが、これを食べられるようにする物質があれば授業机でも食べられる。」と、高校時代の化学の先生が話してくれたからだ。店があるのはアジアの小さな島国の首都「ハレルウ」。山に囲まれ海に面した町。中央に川が流れている。この地形は、私の生まれた静岡市を意識している。

主人公は画家を目指す少年なので、モチーフとして建築、絵画、音楽、装置など様々な芸術作品を登場させている。レストラン、洋品店のメニューにはシュールレアリズムへのオマージュがある。例として美術史に出てくる芸術作品を多用したのはユイスマンスのデカダン小説「さかしま」の影響かもしれない(笑)。これらのモチーフは、私の実現したかったものであったり、失われたものへの憧憬であったりして小説の特徴となっている。構成はレストランを中心とした第1部、物語が展開する第2部、後日談の第3部からできている。第3部は物語に完結性を与えるために何年か経って追加したものだ。

最初は登場する変人奇人、珍品について書けば面白い話ができると思っていた。しかし書き続けてゆくうちに、小説には感情や心理描写も必要で、大きなうねりを持ったドラマがないと話が進まないことに気づき始めた。エピソードやモチーフを文章化しただけでは物足りないのだ。当然である。この私の小説に対する楽天さについて話すと、ほとんどの人が呆れた顔をする。だから時々わざとこの話しを持ち出すことにしている。小説は、当初考えたものとはずいぶん違ったスタイルに変化していった。出来上がった原稿は、詩人、デザイナーなどに見てもらった。出版できたのはそれなりに好感を持ってくれたからだ。

小説を書いてみて感じたことがある。小説表現がすぐれている点は人間を語れることである。そして人間を語ることで社会や文明についても語ることができるのだ。一方、モチーフである芸術作品の文章化は、当初考えていたより難しく思えた。それは文章がいろんな視点から芸術作品を記述できるからだ。例えばゴッホの絵は、科学がもたらした印象派技法の絵画といえるし、チューブ入り絵具の発明による野外写生画、遠近法から開放された絵画と書くこともできる。またそんなことは気にせず、感性の趣くままに描いた絵、温かい絵、激しい絵といっても違和感はない。これらすべてを記述してもかまわないだろう。

だが芸術作品が小説に登場する場合は、物語を進めるための何らかの役割を持っている。登場人物と同じなのである。私はそれを主人公に近い視点から記述する必要があった。またこの小説は、書きたいことを次々と書いていったので、しばらくの間、終わりが見えなかった。完成後だったが、あるTVディレクターがプロットを作ることを勧めてくれた。プロットは構成や計画であり小説のデザインにあたる。

良い事を教えてもらったと思い、その後は何本ものプロットを書いてみた。しかし意外にもプロットがあれば物語が出来るというものではなかった。小説を書くにはドローイングのような感覚的行為が必要だったのである。ノリといっても良い。記述にノリがないと小説は冷めた料理のようになってしまう。どうやってノリを生み出すかはなかなか難しいが、デザインとドローイングは理性と感覚の関係にあり、芸術作品を生み出すためには両方とも欠かせない。

さて小説を書いて自分の考えていたことは実現できたのかということになる。私の書いた小説は、絵に例えれば12色の色鉛筆で描いた絵のように素朴なものだが、「世界観は表現できた。」と言っておきたい。またこの本は金箔張りの表紙やグリーンの紙を使用するなど、オブジェとしての本を作りたいという私の願いをかなえてくれた。若気のいたりで、あとがきに謝辞がないが、出版に導いてくれた松田行正に25年経った今、新ためてお礼をいいたい「ありがとう。」と。(札幌市立大学付属図書館ニュースレター「のほほん」 2011/2月)