作品
「Asia Network Beyond Design 2009」は、アジアという地域にあって様々な垣根を越えた交流を行う展覧会であり、中国、韓国、台湾、日本の4カ所で開催されました。私は各会場に向けて4点の作品を制作しています。グランプリ作品fruits 05は、3DCGアニメーション「視線で味わう果実」(HDV)の中から取り出した静止画です。本来ならアニメーションを出したかったのですが、初めて出品する展覧会で、しかも海外だったため、設営や搬出の事を考えて静止画にしています。
アニメーション
アニメーション制作を始めたきっかけは、2001年に出品した「DIGITAL IMAGE 2001 TOKYO」展【中国 韓国 日本 ディジタル・アートの現在】でした。3カ国の作品が同じ場所に並ぶと、それぞれの国の文化や技術の違いが明らかになります。中国や韓国の作品のテーマは、万人に分かる具体的なものが多く、違いは中国がシリアス、韓国はユーモアがあると言った具合です。また表現方法としては、説明的なものが多かったように思いました。
それに比べると日本の作家たちはテーマも表現方法も様々でした。まずは個人の境地あり、といったところでしょうか。文化の違いは明らかでした。それは、国が許容する文化の自由度の違いであるように感じられました。当時、既に技術の差はありませんでしたが、気になったのは、日本は静止画作品が多いのに対し、中国も韓国も映像作品に向かっていた事です。アニメーションを始めるきっかけとなりました。(文化の自由度については、「Asia Network Beyond Design 2009」では、かなり接近しています。)
食べ物のアニメーションシリーズ
私のCGは文学的なテーマを持っているものが多いため、分かりやすいと思っていたのですが、弟は、「実は、兄さんの作品は分からないんですよ。」と、こっそり家内にもらしている事を知りました。そこで私は「アートもデザインも食べ物と同じです。いろんな物を食べてみて、味覚の幅を広げたら、好きな物を食べるだけ。」と、弟にメールしました。そして実際にCGで食べ物を作る事を考えるようになりました。「眼で食べる料理」、「視線で飲むカクテル」、「視線で味わう果実」はこうして生まれたわけです。
学生時代
20代からいろんな形で作品発表を続けてきましたが、この15年くらいは童話を3DCGでシンボリックに描いた作品を作り続けています。どうしてこんな作品を作るようになったのでしょうか。
表現に目覚めたのは学生時代です。海外からはポップ・アート、キネティック・アート、サイケデリック・アートなどが押し寄せ、音楽や映像やハプニングのイベントが盛んに行われていました。一方、演劇の世界では観客と舞台との垣根が取り払われ、寺山修司や唐十郎などを中心とした小劇場運動が全盛となり、歴史の闇の中にあった日本の情念や肉体表現が注目されていました。これが当時の現代美術とアングラ(アンダーグラウンド)です。
既成概念
きっかけは、入学祝いに貰った図書券で購入した「サド裁判」(現代思潮社)でした。それは「悪徳の栄え」(澁澤龍彦訳)が、猥褻罪で起訴された裁判の、特別弁護人による陳述記録でした。埴谷雄高、吉本隆明、大江健三郎、栗田勇など、文学者や詩人たちが、社会の既成概念に対し述べた反論は、それまで自分の中に無かった価値観をもたらしてくれました。その後、私は澁澤龍彦の紹介する異端文学とアナクロニズムに惹かれてゆきます。
暗黒舞踏
当時もうひとつ衝撃を受けたのが暗黒舞踏です。このきっかけはアルバイトで手伝った土方巽の舞台でした。暗黒舞踏は、西洋から伝わったダンスとはまったく異なったもので、白塗りの裸体、脱力した動き、リズムの合わない群舞といった特徴を持っていました。そこでは、我々が日常生活を営む動作がすべて無用となり、人は一度、物に帰ることすら求められているようでした。また舞踏には、肉体の鍛錬と修練によってしか生まれない技があり、資金やテクノロジーを必要とする当時の現代美術より、人間的な魅力を感じたのです。
人形と人形劇
人形に興味を持ったのは、当時、暗黒舞踏が“オブジェとしての人間”または“死者としての肉体”などと呼ばれていた事もあり、その先にあるのは人形だと思ったからです。人形の中にはオブジェとしての人形と、キャラクターとしての人形の2つの側面があります。前者にはハンス・ベルメールやシュールレアリストのマネキンがあり、後者は人形劇やアニメーションやゲームのキャラクターに相当する人形です。別の言い方をすれば、人格を剥奪された人形と、人格を与えられた人形と、言えるかもしれません。
学生時代は人形劇サークルに属し、渋谷の天井桟敷館などで公演を行い、卒業後は、辻村ジュサブロー・アトリエでNHK「新八犬伝」の人形制作スタッフとして従事しました。そんな中で人形劇は、観客の想像力をかきたてるユニークな表現であることを実感していました。
暗黒舞踏派「大駱駝鑑」のポスター制作を始めたのはこの頃です。元々アングラの周辺にいたので、舞踏家達と一体になってポスター制作をした記憶があります。舞踏の世界は感性の密林です。素晴らしい感性を持った人間達が森を形成しているようにも思えました。肉体、体験、情念、イメージ、ナンセンスといった表現が、まるで原子炉の中の核のように飛び交っていました。そんな中で制作した「陽物神譚」のポスターは、澁澤龍彦の原作、土方巽の出演であり、それまでの自分の想いに区切りをつける仕事になったと思います。
「ひらけ!ポンキッキ」
「新八犬伝」では大きな副産物がありました。毎週NHKのスタジオに入っていたので、撮影や照明、合成の方法を知った事です。これらの知識は、後のTVの仕事では大変役に立ちました。「ひらけ!ポンキッキ」では“ノッポさん”こと高見映の書いた台本の“不思議なマシン” を考える仕事や、“ガチャピン”、“ムック”達の段ボール工作のアイデアを出していましたが、やがて番組全般に関わるようになって、仕事はアイデアからデザインに移行してゆきます。デザインソースを集めるため、情報をシャワーのように浴びるような毎日が続き、生活や、自然や、SFや、アートの世界を、幼児教育番組用にアレンジして映像美術として作り上げてゆく事になりました。
幼児教育番組の分野は、20代に目指していた鍛錬や修練とは別物でした。発想が重要だったのです。アングラ世界を形成していたものから、肉体、体験、情念を外し、イメージ、ナンセンスを残して、記号を追加した世界といったら良いでしょうか。子供は記号で世界を認識しています。「星の王子さま」の“象を飲んだウワバミ”の絵を思い出して下さい。大人にはこの絵が帽子に見えてしまうのです。幼児や子供の世界には大人が失ってしまった膨大な感性が詰まっていました。それは驚きや不思議の世界でした。その頃から私は、ほとんどの芸術やデザインは、あくまで大人の感性にむけて発信されていると思うようになりました。
TVでは、プロダクション・デザイナーのようにどんな条件でも、それに見合った最高の仕事をしてきたと思っています。ここには無名ですが多くの素晴らしいプロフェッショナルがいました。しかし私には少し気になる事があったのです。それは、ここではギーガーの“エイリアン”のような独特のものが作れないという事でした。
CG
CG始めたのはMacに出会ったから、と言っても過言ではありません。TVで行ってきたことは、Macさえあれば出来ると思わせてくれました。またそれまで維持してきた工房のように、設備や材料倉庫などのスペースを必要せず、Mac内に複数の工房を作れるので、独自の世界を創造する工房も持てると思えたのです。それは一旦マスメディアの外に立ってみる事でもありました。
PCを始めてしばらくすると3DCGのライティングによって不思議な世界が作り出せる事を発見しました。これは学生時代の人形劇や暗黒舞踏の舞台に近いものでした。そしてその世界の中に人形のようなシンボリックなオブジェを置いてみる事にしたのです。
3DCGは、シーンを設定してやれば、絵はPCが描画してくれるので、機械が仕事をしてくれる気分を味わえました。私は、結果が良いか悪いかを判断して修正してやれば良いのです。道具がオリジナリティを作り出せるとは思いませんが、“神は細部に宿る”の言葉のようにPCは、道具としては素晴らしい細部製造能力を持っています。絵の具を均一に塗る事が苦手だった私は随分助けられています。
この道具に欠点があるとすれば、方法さえ知れば誰でも同じ表現が出来るという事です。表現の極意とは、相手の認識を利用して、その延長線上に少しだけ認識を超えた作品を置いてあげる事ですが、これをPCで行う事は、私には手品のように思えてなりません。ポール・ギャリコの「ほんものの魔法使い」には、手品師の国に魔法使いが登場してみんなを驚かせます。方法を知っても誰も再現出来ない表現が出来れば、それは手品師が魔法使いになる瞬間だと、私は思うのですが。
個人の自由な表現
PCを使って遊ぶ自由は、大事にしなければいけないでしょう。それは、パーソナルだからです。労働が遊びになる時、手品の箱は魔法の箱になる可能性もあります。
札幌南区で暮らして13年、庭いじりを始めて5年になります。一見人の手が入っていないような庭を目指しています。裸足で草の上に立つと、私は子供に還ります。20代に暗黒舞踏から影響受けた“オブジェとしての肉体”や、“人形の2つの側面”などは、幼児教育番組時代のフィルターを通過し、自然の中に放たれ、足の裏から子供の頃の感覚となって伝わって来るように思えます。そして以前目指した鍛錬や修練による技術は、今はPCが肩代わりしてくれています。
作品の核となる部分は必ずしもテクノロジーに依存しているわけではないでしょう。核となるのは、作ったり味わったりする価値観だと思います。そしてテクノロジーが進化しても、人間は肉体を持っている限り昔と変わりません。価値観は個人の中で育まれるべきであり、そこには個々のストーリー(オリジナリティ)があります。私にとってそれは人形でした。人は、人形に存在しないものを見ています。それは“人形という鏡”に映った自分の姿です。オブジェに対しても同じ事が言えないでしょうか。それが今回制作した “果物形”です。これがデザインなのかアートなのかという事は、特に問題ではないと思います。幼児教育番組時代に培った驚きや不思議を創造する行為の一つにすぎないのです。この世界は デザインやアートの世界より広いと思っています。(敬称略)
(ICCアドバイザーコラム 2010/1月 2012/8月一部修正)