B-STYLE

[身近なモノの取合せで暮らしを満喫する]  [時の経つのを楽しむ] [偶然を味方にする] それらをBスタイルと呼ぶことにしました。

2014/12/29

今年を振り返って 2014

これまで1年をふりかえるなんてことはしなかったけど、今年は札幌に来た時と同じくらいいろんなことがありました。しかも退職したので、感じたり考えたりする時間がもてています。雑感パラパラ、あっさり(どこが?)と。

■病のおかげ
去年の10月、三途の川の手前まで行きましたが、迷子になってこの世に戻ってきました。
あちらではなにも見えませんでしたが、海外旅行からもどった時のようにまわりが違って見える時期があったことはたしかです。
親友の"酒くん"、"タバコくん"と、一緒にもう1度川を見にゆこうか迷いましたが、親友にサヨナラを。

■退職って
3月31日、札幌市立大学B棟。「小学校を卒業するような気分です。」が、お別れの挨拶。正直言ってあんな晴々とした、開放的な気分で職場を去ることになるとは思いませんでした。

それまで、すごく緊張感を持って仕事をしてきたのだと思いました。不満もあったんだと思いました。そして実は充実した日々を過ごさせてもらったんだな、とも思いました。
お世話になった皆さん、見送ってくれた大勢の方々に感謝の気持でいっぱい。

■リハビリはつづく
病院を退院して1ヶ月たったころ、急に体力がおちて両手が効かなくなってしまいました。おかげで研究室の片付けは、ゼミ生に手伝ってもらうはめに。
その後もなかなか体調は戻らず、内科に通院の日々。"ふじの整骨院"の本間先生には心身ともに癒されました。
8月には2度めの入院。このあたりから病身とつきあうコツをおぼえたように思います。現在の回復度は65%ぐらい。

■母の死
9月末、静岡の母が90才でなくなりました。これで両親ともに亡くなったわけですが、今になってみると自分が先でなくて良かったと思います。
実家、静岡への旅は体力に不安がありましたが、行ってこれて自信がつきました。またその後、つきものが落ちたように元気になりました。母の最期のプレゼントだったかもしれません。

■TV
錦織の活躍でWOWOWに加入してしまいました。WOWOWは視聴者に媚びていなかったり、再放送が多かったりで、思っていたのと違い、ずっとマイナーな放送局。気に入りました。
また、これまでリアルタイムでTVを見ることがなく、録画ばかり見ていましたが、今年は録画せずに放送時間に番組を見るようになりました。TVが、視聴者の生活のリズムになっていることを知ったのは新しい発見です。

■昭和は去りゆく
俳優の高倉健さんが亡くなりました。年をとってみると、自分の人生を豊かにしてくれた方々がこの世から去ってゆくことは何とも言えない思いです。会ったことはなくても・・。 

また札幌で見つけた「中川ライター店」(模型、モデルガン、喫煙具、パーティグッズなどの販売店)の閉店を知り、自分の原風景ともいえるものが次々となくなってゆく寂しさを感じます。当然あると思っていたものが、フッ、フッと消えてゆくような気味の悪い感じ。これは老人にしか味わえない独特の感情が味わえるようになったということでしょうか。

■ミュシャとバルチュス
「ミュシャ展」は家内に誘われて。バルチュスは特集をTVで見ただけです。近年は映画館や美術館にはあまり行きません。

ミュシャはイラストレーターや少女マンガ家なら1度は敬愛するアーティスト。特にパリで活躍した時期の作品は素晴しく、60~70年代にはサイケデリックアートに影響を与えたアールヌーボーの作品として脚光をあびました。しかしアメリカや故郷のチェコで制作されたスラブ叙事詩のような作品は不評でした。

このミュシャ、北海道近代美術館の展覧会は、愛国心の作家として企画されていました。そのためちょっと困惑。ミュシャの美しいスタイルとは一体なんだったのか、と思ってしまいました。歴史は演出され続けているとも思いました。

画家バルチュスは、ダゲレオ出版のビデオを持っています。バルチュスの館で勝新太郎が日本刀を使ってみせるシーンのある珍品です。今回は東京での展覧会なので体力的に行けませんでした。見たのはNHKの放送。

田舎の館で思春期の少女の持つ官能美を描き続けた反時代的な作家バルチュス。こんな生活や画家とモデルの関係は今の日本ではできません。
モデルがいなくても描けそうな古風でマニエリスティックな様式美をもった彼の絵の奥に、実際のモデルから受け続けたインスピレーションがたくさんあると知ったことが発見です。実物ならその筆跡からもっと感じることができたと思うと残念です。

■ブログとSNS
退職前に、教員以前の自分を取り戻したくてはじめたのがブログ。
FacebookやGoogle+はいつのまにか参加していました。3年近くたちましたが、SNSは今でもあまりよくわかっていません。時間があって体力がないのでよくやりましたが・・。

Facebookは、私は"バーチャル長屋"だと感じましたが、家内は"縄跳び"だといっています。うまい例えだと思います。
Facebookで初めて誕生日を祝ってもらった時、「これまで随分癒やされました。」と投稿したら、「いろんな感じ方があるものですね。」と退会したベテランの前川さんに言われてしまいました。当時は??? でしたが、今ならその意味がわかります。

それに対してGoogle+やPinterstはかなり違います。現実社会の知合いが1人もいないせいでしょうか・・。
特に今年はPinterstの年でした。画像のコレクションSNSですが、編集者になった気分でした。
3月の時点では3000フォロワーが目標でしたが、今は10倍の40000を超えるフォロワーがいます。Pinterstには性能のいい人集めロボットがいるのかもしれません。

■来年こそ爆発
子供たちには「元気になって半年後に爆発だ!」といってみたもの、体はそんなにうまく回復してくれませんでした。
9ヶ月間で教員臭さがとれたかも疑問です。時々ブログの文章が説教臭くないか不安になります。老人だからうまくいかなくて仕方ないとあきらめることも増えました。

そんな中でアカデミー賞を受賞した宮﨑駿が言ってくれた言葉は印象的でした。
「自分は年をとって引退しようとしていたけど、受賞者の中では1番若かった。まだ若造だと思った。」
・・まだやれてないことばかりです。