■日本の「プロ野球シーズン本塁打記録」
今シーズンのプロ野球で最も興味を持ったのは、バレンティンだ。日本の「プロ野球シーズン本塁打記録」55本をあっさりとぬりかえ、60本に更新したのである。この記録の作られたのは50年前。作ったのは王貞治だ。
今シーズンのプロ野球で最も興味を持ったのは、バレンティンだ。日本の「プロ野球シーズン本塁打記録」55本をあっさりとぬりかえ、60本に更新したのである。この記録の作られたのは50年前。作ったのは王貞治だ。
なぜ約50年もの長い間、この記録は破られなかったのか。もちろん記録に挑戦したバッターは何人もいた。外国人では、ローズ、カブレラ、バースである。
しかしこの挑戦はしばしば敬遠策によって拒まれて来た。
対戦するピッチャーが、ストライクゾーンにボールを投げないのだ。
プロ野球ファンは、これを複雑な気持ちで見つめて来た。
なぜこんなプレーが続いたのだろう。
この記録が他の日本人選手によるものなら、どうだったのか。王の記録が破られる事、しかも外国人選手によって更新される事は何を意味していたのか。
この記録が他の日本人選手によるものなら、どうだったのか。王の記録が破られる事、しかも外国人選手によって更新される事は何を意味していたのか。
■日本の発展とヒーロー像
記録が作られたのは1964年である。
王は、その後記録を更新する事はできなかったが、ホームランバッターとして活躍し、通算868号というメジャーリーグにもない大記録を打立てた。プロ野球とメジャーリーグを単純に比較はできないが、数の上では世界一の記録だ。
王は、その後記録を更新する事はできなかったが、ホームランバッターとして活躍し、通算868号というメジャーリーグにもない大記録を打立てた。プロ野球とメジャーリーグを単純に比較はできないが、数の上では世界一の記録だ。
アメリカと日本、メジャーリーグと日本プロ野球、この間には複雑な関係と歴史がある。
王の活躍した時代は、日本の高度成長期にあたり、第2次世界大戦の敗戦から立ち上がった国が、20年~30年かけて世界と肩を並べるまでに成長し、経済的な豊かさを手にいれた時代である。王の世界記録は、その時代の象徴でもあった。王は、スポーツのわくをこえて国民的なヒーローになる。
日本の「プロ野球シーズン本塁打記録55本」とは、このヒーローが作ったものだった。
この記録が外国人選手によって破られる事はどういうことなのか。それは日本のプロ野球だけでなく、戦後日本人が勤勉と努力によって世界と肩を並べるまでに成長し築き上げた成果の象徴が失われてしまうということではなかったのか。
そしてだれが敬遠を促してきのたか? この問題はずっとうやむやのままだった。
そしてだれが敬遠を促してきのたか? この問題はずっとうやむやのままだった。
■ヒーロー像の変化
しかし今回、バレンティンに対しては、これまでのような露骨な敬遠策はなかった。投手は正々堂々と勝負をしたのである。実に気持ちよかった。日本のプロ野球界が変わったという印象を持った。
このところプロスポーツの世界は、ずいぶん変わったと思う。特に日本人野球ファンとして注目したいのは、イチローがメジャーリーグで残した年間最多安打記録、262安打である(2004)。
この記録は、ホームラン記録のような派手なものではないとしても、シスラーが1920年に作ってから84年間も破られなかった記録だ。
イチローがどこの国出身であるかは問題ではなかった。
どんなメジャーリーガーが達成しても祝福されるべき偉大な記録だったからである。
ファンはこの記録更新を90年待ち、イチローはその夢をかなえたのだ。
イチローは、それまでの日本人ヒーロー像を変えたといっていいだろう。
イチローは、それまでの日本人ヒーロー像を変えたといっていいだろう。
このあたりから海外に出てゆく選手の意識はずいぶん変わったように感じる。
それは本場にいって自分を鍛える、通用するか試す、といったレベル格差を前提とした挑戦姿勢から、同僚と同等の、あるいライバルより優れた選手として活躍する、というアグレッシブな挑戦姿勢に変えたのだと思う。それは日本プロ野球内でプレイする選手にも影響を与えている。
日本人のプロスポーツへの興味は、すでに世界ステージの記録に移っていた。それは、ファン、関係者、選手にまで行き渡っていた。その結果がバレンティンと相手ピッチャーとの勝負となって現れたのだと思う。今年、我々は記録を守るためにスポーツマンシップをしまっておくような光景を見ずにすんだ。ピッチャーにすれば「あたりまえだよ。」というかもしれないが、バレンティンの記録更新に与えたイチローの影響は大きい。
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