ブログをはじめた頃、「マウスを握れるうちはCGをつくるぞ!」とは言ってみたものの、ブランクがあるとアプリケーションを使いこなすのが面倒に感じるようになってしまった。3Dソフトは1年近くさわっていなかった。
PCは道具だが、筆やノミのような肉体的な道具とはちょっと質が違う。
例えば筆とPCを、しばらく行っていない場所にむかおうとする乗物にあてはめてみる。そこには自転車でいくのとバスや電車を乗り継いでいく場合ほどの差がある。
自転車では道路さえ覚えていれば上りや下りがあろうと信号があろうとペダルを踏むだけで目的地につける。最初は不慣れでも、そのうち体が自転車をコントロールする方法を思い出す。
しかし乗り継ぎでカードを使わない方法を取ると、バスの時刻をを調べ、目的のバスを見つけ、チケットの受けとり、料金の支払方法を思い出しながら乗り継ぎ地点まで行き、切符売り場を探して、また別の方法で切符を買い、改札口を通過して目的の電車のホームにたどり着く。乗換が多いとこの繰り返しになる。
私にとってPCの操作はこちらのように感じてきた。そして乗物を乗り継ぐために必要な情報は一旦使われなくなると忘れられてゆく。
PCのアプリケーションも最初の頃は覚えることが少なかった。だから使い手の工夫次第でいろんな技法が生まれた。しかし今、それらの技法はツール化され、めったに使うことのない多数のプラグインとなって装備されている。
この結果がもたらしたことは、技法を生み出す工夫よりツールやプラグインの置かれた場所を覚えることだ。これらのツールを使えば誰でもそれなりの成果がえられる。アメリカ生まれの道具らしい。
しかし覚えるというのは忘れることでもある。だから年寄りが久々にPCを使うのは難しい・・。
っと、しみじみ。
*いろんな技法:「フォトショップ・ワウブック」には、忍法帳のような秘伝が散りばめられていた。
*写真:左モニタにはPinterestで集めた資料。右は3D景観作成ソフトVue。