B-STYLE

[身近なモノの取合せで暮らしを満喫する]  [時の経つのを楽しむ] [偶然を味方にする] それらをBスタイルと呼ぶことにしました。

2014/12/10

映画「トランセンデンス」 はネモ船長のAI版?

トランセンデンスのポスター
「トランセンデンス」ウォーリー・フィスター監督。
久しぶりに行ったツタヤで、なぜかアンドリュー・ニコル監督の映画と勘違いしてして借りて見てしまった。テーマが近かったせいか? いい映画に飢えていたのか? 早とちりだった。最後まで気付かなかった。
確かにアンドリュー・ニコルはもっとスタイリッシュだ。以下、そんなふうなことも頭に入れて読んで欲しい。

SFとしての構成:
技術は進化し、最高の知能を備えたAIが完成していた。しかし普及にあたっては影響が大きすぎるため、社会にとってどんな知能が必要かが問題となっていた。
一方霊長類のもつ知能をコンピュータに読み込む実験は成功していた。ただしこちらも未来を任せられるような知能ではなかった。
科学者である主人公は自分の知能をコンピュータにアップロードする。
AIとなった主人公はネットワークを支配し、人類を救済しようとするが、途中で自らをウイルスにより破壊し、世界のすべての情報技術は失われる。
ただし地球は、彼がAIになって発明したナノテクノロジによって再生される。

ラブストーリーなので詳細をを知りたい方は別のサイトで。

この映画、見ていて制作費の使い方(豪華すぎる配役、粗末な田舎町のセット、国家の中枢シーンがない)には首をかしげたが、いい映画だ。
特に科学技術と人類というテーマは好みだ。アンドリュー・ニコル監督の「ガタカ」、「タイム」とかぶるところがある。映像もきれいだ。正座するような気持ちで見てしまった。

しかし見終わったときの複雑な思いはなんだろう。素晴しいテーマとストーリー、充実した配役、映像に対するこだわり。すべてお気に入りなのに何かものたりない・・。
満足すべき料理なのに素直によろこべない。ような・・。

やがてその答えとして思いついたのがコレ。

表現の味わい方にはいろんなものがある。
ありきたりのテーマがありきたりに描かれた時の小気味よさ。
下品な役者の下品という品。
決まりきったユーモアの持つ安心感。

「トランセンデンス」のような立派な作品は好きだ。しかし先にあげたようなカジュアルさはあまりない。映画は立派であればいいというものではない・・。

鑑賞者はいろんな表現を好む。これは立派な表現を知らない事とはちがう。
特上のコース料理は好きだ、しかし食べなれたレトルト食品もわるくない、である。

ただこれら好きな料理を混ぜれば最高の味になるわけではない。だからこうして欲しい、ああして欲しいとはいわない。その結果、この映画はウォーリー・フィスター流の凝った映画なんだ、という納得の仕方になってしまうのかもしれない。
「トランセンデンス」は、難解でも曖昧でもない。しかしふだん見慣れたSF映画とは一味ちがう上品でちょっとだけ重い味わいの作品だ。

もう一つの答えとして思いついたのは、論理的な科学技術者を主人公にして人類の救済やAIを描くとこんな風になるということ。

「コンピュータに自分の自我を証明することができるか?」
「人間は愛しながら逆の行動を取ることもある。」
映画の中で語られるセリフである。

「トランセンデンス」は、科学技術文明のユートピアを描いたいい映画であることはたしかだが、
アンドリュー・ニコル監督がそれに翻弄される人間を主人公にしたのに対し、
ウォーリー・フィスター監督は、さらに科学技術をつかって人類や地球を救済しようとする神のような人間を主人公にしてしまった。「海底二万里」のネモ船長を思い出す。

ジュール・ヴェルヌのSF小説から冒険話をとって恋愛話をプラスするとこんな感じなのかもしれない。

*写真は映画.com  http://eiga.com/movie/79708/より。
*アンドリュー・ニコル作品に関する記事
「ガタカ」
「タイム」