*画像はアマゾンより
「猿の惑星 ライジング」をみる。「ゴジラ」のあとで。
モニタのとなりには我が家の犬が。愛犬モコ、最近具合が悪い。病院通いがつづく。
それはさておき・・。
■SFというよりも・・
この映画に出てくるエイプは猿じゃない。人間だ。だから人間と人間の人種間、部族間の戦いをみせられているように感じてしまう。しかも文明人目線である。
・白人とインデアン
・文明人とネイティブ
・白人と日本人
この映画を100年後にみたことを想像してほしい。きっと違和感を感じると思う。また感じるように世界は変わっていて欲しい。
■人種間戦争の映画として
物語、脚本は、すごく良く出来ている。信頼の喪失と回復、そしてまた喪失。争いの虚しさが伝わってくる。役者も素晴しい。この映画は非常にリアルな人種間戦争の映画なのだ。
しかし、この「猿の惑星」の新しいシリーズはどこに向かうのか? 最初のシリーズの第1話を証明して終わってしまうのか?
第1話が誕生したのは、その時代の世界観があったからだ。リメイクの難しさを感じた。
■SF映画とは
猿が猿であるがゆえに成立するのがSFなら、私が見たい新しい「猿の惑星」シリーズは、猿の次に犬、その後に鳥、そして昆虫、のように次々と生物が変化して、人間はどこから来たのか? を問うようなものだ。その場合、題名は「SF〇〇の惑星」となる。
ちょっと脱線してしまったが、「猿の惑星 ライジング」には、「アバター」のようなロマン主義はない。人類が持っていない信仰や神秘のようなものがないからだ。
たしかにリーダーは”シーザー”という名であり、”キリスト”ではない。では今後の続編には人間の神とは違う猿の神が登場する場面はあるのか?
「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」のような。
■どこまでゆくのか?この映像技術の進歩
とにかく素晴しかったのが猿の動き。すべてパーフォーマンス・キャプチャからCGを起こしている。さらに合成やカメラワークもすごい進歩だ。もしこの技術の進歩が止まらないのなら、近い将来、人類は虚構に囲まれた驚くべき生活を送る事ができるようになっているはずだ。それがいいかどうかは別として。
1つ気になったのは、なぜ文明人の相手は醜いのか?ということ。
またなぜそう感じてしまうのか?ということ。
数年で進歩してしまうことと、何百年、何千年も変わらないことのギャップに気づく。