もう30年以上も会っていなかったが、一緒に仕事をし、私の感性に大きな影響を与えてくれた同世代人の1人である。画像は室伏さんの主催する”舞踏派背火”旗揚げ公演の際、担当したポスター(A1)。私が20代半ばのころ。
■踊りは山海塾の天児牛大、白虎社の大須賀 勇と同じく独特の型を持っていた。
"大駱駝鑑"創立時の主力メンバーでありながら、他のダンサーのように日本で知られていなかったのは海外での暮らしと活動が中心だったためと思っている。
■ダンスは土方巽直系の素晴しいものだった。ミイラの踊りを追求していたように思う。しかしそれにもまして優れた彼の才能は、近代の民俗学研究者や文学者に対する知見だった。そしてこのインテリジェンスと共に他のダンサーが及ばなかったのがプロデュース力である。彼は、"大駱駝鑑"の渉外役として力を振い、戦国時代でいえば軍師の役割をしていた。渉外の対象は芸術家だけではなかった。
シルクロードを目指す舞踏団を夢み、"アリアドーネの會"の設立に奮闘、"舞踏派背火"を旗揚げした。芸術家たちが地方に拠点を持つためのさきがけとなった。ヨーロッパでは暗黒舞踏の発表の場をつくった。彼がいなかったら暗黒舞踏が日本で一時代を築き、ヨーロッパにまで広がることはなかったと思う。
■学生時代からの付き合いだった。私の杉並時代の住まいは、もともと彼の住んでいた借家を引き継いだもの。
室伏さんとはずっとお会いできなかったが様子はたまに知人から聞いていた。
ご冥福をお祈りいたします。
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